中国四川省「街子古鎮」を訪れたとき、瑞龍橋から川沿いへと続く遊歩道が印象に残っています。
街子古鎮といえば、賑やかなメインストリートや歴史ある建物が有名ですが、その魅力は中心部だけではありません。
瑞龍橋から川沿いの道を歩いてみると、蜀王ゆかりの石壁や詩人の像など、思いがけない発見がありました。
今回は、そんな歴史と文化が静かに息づく、街子古鎮の散歩道をご紹介します。

街子古鎮の瑞龍橋から川沿いの遊歩道へ

街子古鎮の銀杏広場から瑞龍橋を渡る手前に、橋の下へ降りることができます。
そこを降りると、すぐに川に沿った静かな遊歩道に入ります。
12月の閑散期だからか人は少なくゆったりとした風景が広がっていました。


「囲炉煮茶」の旗が揺れる、心安らぐ町角

街子古鎮の川沿いには茶館やカフェがあります。
その軒先には、「囲炉煮茶」と書かれた旗がいくつも揺れていました。
これは、火鉢や囲炉裏のような熱源を囲みながらお茶を煮て、のんびり語らう冬の風景を表す言葉です。
中国の人々にとって、この4文字を見るだけで、
ほのかな炭の匂いと、湯気の立つ茶器、そして笑い声の絶えない団らんのひとときが頭に浮かぶのだそうです。
そんな「ぬくもりの象徴」でもある言葉が町のあちこちに掲げられていました。
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シーズンによって掲げられる言葉は変わるのかもしれません。
詩的でおしゃれな習慣だなと感じました。
昔の船着き場「古碼頭」

さらに川沿いを歩いていると、「古碼頭」という表示が目に入りました。
「古碼頭」とは船着き場のことなんだそうです。
街子古鎮のような川沿いに発展した古鎮では、物資や人の往来のために川の港(碼頭)が重要だったそうです。
- 昔の船着き場が今も残っている場所
- かつての名残を感じられる一角
そうした場所に「古碼頭」という名が付けられていることがあるのだとか。
後日調べてみると…
街子古鎮の古碼頭は実際に観光船の乗り場としても機能しているようでした。
▶︎在重慶日本国総領事館のサイトにてその様子が写真で見られます。
この地の歴史を体感しながら、水上散策を楽しめるのも街子古鎮ならではの魅力のひとつだと感じました。
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私が街子古鎮を訪れたのは12月。
観光シーズンではなかったためか水上散策は開催されていないようでした。
そしてさらに木々のトンネルのような小道を歩いていきます。

龍の頭が見守る橋

さらに歩みを進めると、ある橋の脚元に立体的な龍の頭部の装飾を発見しました。
それは瑞龍橋とは別の橋。
川の流れに顔を向けるように設置された龍の彫刻が、とても印象的でした。
中国では龍は水を司る守り神とされることも多いようです。
この装飾も、「この土地と川を守ってほしい」という祈りが込められているのかもしれません。
それにしても、あの橋脚に施された龍の髭や鱗の彫刻は驚くほど繊細で、思わず見入ってしまいました。
周囲を覆う緑の木々や、水面の反射とのコントラストも美しく、雰囲気がありました。
蜀王の石壁|街子古鎮の川沿いに広がる物語空間
またさらに川沿いの遊歩道を進むと、迫力のある石壁が続きます。
その石壁には、蜀王にまつわる場面が精巧に彫られていました。
もともと四川省・成都は、三国志に登場する「蜀」の本拠地で、劉備が都を構えた土地としても知られている都市です。
この石壁に登場する蜀王というのが三国志と関係あるかはさておき、
街子古鎮では今もなお、蜀王の足跡が色濃く残っていて、この石壁も単なる観光用の装飾というより、この地に根づいた歴史と文化への敬意が込められているように感じました。

蜀王にまつわる伝説「蜀王西征」
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さらに、この石壁では蜀王にまつわる伝説が紹介されていました。
どうやらこの物語は、蜀王が西へ進軍する途中で街子古鎮まで来ていたという伝承に基づいているようで、
そうした背景をもとに、川沿いの石壁にも物語の一場面として刻まれていたのだと思われます。

蜀王が西方に出征する際、街予安(現在の街子古鎮?)に陣を張りました。
その際、三軍の将兵に命じて軍の食糧を使い、飢えていた民を助けました。
さらに将兵は民のために連日夜を徹して、雨風をしのげる茅葺きの仮屋を建て、
粗末ながらも身を寄せる場所を整えました。人々はその仁徳に深く感激して涙を流しましたが、返礼の手立てはありませんでした。
それでもなんとか恩に報いようと、山の果実や山菜を探し集め、
廃墟の中からはかつて醸した自家製の酒の壺をいくつか見つけ出しました。そしてそれを蜀王に捧げ、少しでも感謝の心をお伝えしようとしたのです。
ざっくりこんな感じのことが彫られています。(たぶん)
中国では蜀をたたえるあらゆる美談が地方伝承に広く残っています。
特に中国四川省のように、蜀の文化圏に属する土地では、蜀王の「仁義」や「公平さ」を象徴する逸話として自然に語り継がれてきたのかもしれません。

蜀王にまつわる伝説「蜀王投漿」
また中国では、もともとは別の人物や時代に関するエピソードが、後の英雄や文化的象徴と結びつけられて語られることも珍しくありません。
たとえば石壁には「萬騎共飲」「蜀王投漿」と言う大きな文字とともにこのような文章が彫られていました。
蜀王は、疲れた兵士たちに公平に酒をふるまうため、川に酒を注ぎ、兵士に行き渡るようにした
誰かだけが得をするのではなく、全員に分け隔てなく与える、そんな蜀王の人柄を感じさせる逸話です。
『呂氏春秋』には、越王が酒を江に流し、民がその流れを飲んで士気を高めたという記述があります。
越王之栖也会稽,有酒投之江,民饮其流,战气百倍。
(越王の栖むや会稽なり、酒有りてこれを江に投ず。民その流れを飲みて、戦気百倍す)
このような「酒を川に流して団結を促す」という儀式的な行為が、やがて蜀王の話として地域に根づいていった可能性もあります。
つまり、この逸話は歴史的事実というより、人々が劉備という人物に託した理想像(公平で思いやり深いリーダー像)を象徴する文化的な物語なのかもしれません。
そんな背景を思い浮かべながら川沿いの道を歩いていると、歴史と物語の余韻を味わうことができました。

詩人・陸游の像と「詩の町」としての街子

川沿いをさらに歩いていくと、南宋の詩人・陸游(Lù Yóu)の塑像が立っているのを見つけました。
陸游は、南宋時代に活躍した愛国的な詩人・文学者です。
なんと生涯に詠んだ詩は1万首以上とも言われ、中国文学を代表する詩人のひとりです。
街子古鎮を陸游が実際に訪れたという記録は見当たりませんが、
詩を重んじる土地柄への敬意として、この像が建てられたのかもしれません。
実際、街子古鎮は唐代の詩人・唐求の故郷でもあり、今も町の空気に自然と詩の文化が息づいている場所です。

おわりに|歴史と詩が流れる川辺の町で
街子古鎮では、川沿いをただ歩くだけでも、蜀王の物語や詩人たちの精神、そして日々の暮らしに根づいた文化にふれることができました。
華やかではないけれど、
- 「囲炉煮茶」の旗がゆれる町の風景
- 龍の髭や鱗の彫刻
- 石壁に刻まれた蜀王の物語
- 静かにたたずむ詩人陸游の像
この場所ならではの穏やかさと奥行きがありました。
天気にも恵まれ、川沿いをのんびり歩くだけで、この町の静かな魅力をじゅうぶん感じることができました。