孫子ととある王の話。
先日、夫と何気なく話していたとき、こんな話をしてくれました。
「昔、中国にとある王がいたんだ。ある日、家臣たちを前に、こんなことを言ったんだって」
「この椅子から、私を立たせることができる者はおるか?」
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勉強になるなと思った物語だったので共有したいと思います!
夫から聞いた物語|史記に記された王を動かした一言

「この椅子から、私を立たせることができる者はおるか?」
王の問いに、家臣たちはそれぞれに知恵を絞ります。
まず一人の家臣が慌てた様子で叫びます。
「王の背後に大蛇が現れました!」
脅かして動かそうとしたのですが、王はびくともせず、椅子から立とうとはしません。
次の家臣は丁寧に申し出ます。
「王にぜひ、美しい景色をご案内いたします。」
誘惑の言葉でしたが、王はただ穏やかに笑うだけで動かず。
三人目の家臣は言いました。
「陛下を椅子から降ろす方法を存じております。ですが、非常に失礼にあたります」
王は興味を持ち、「聞かせてみよ」と言います。
「王宮に火を放てば、王もきっとお立ちになるかと存じます」
王は苦笑して、「それは確かに立つだろうが、なんとも無礼な策よ」と呟きました。
そこで王は、兵法家の孫子に問いかけました。
「そなたならば、私をこの椅子から降ろせるか?」
孫子は、静かにこう答えました。
「私は王を立たせることはできません。しかし、王を座らせることはできます」
孫子の言葉に、王はふっと興味を持ちました。
「ならばやってみよ」と、自ら椅子から立ち上がったのだそうです。
夫がこの話を語り終えたとき、私はふと「なんだかすごく現代的な話だな」と思いました。
※この話についての補足
夫が語ってくれたこの話、調べてみるとどうやら中国の歴史書『史記』の「孫子・呉起列伝」に登場する人物、孫臏(そんぴん)に関連するもののようです。
孫臏が仕えたのは「斉の威王」という王。
なので、この物語の王は威王のことかもしれません。
逸話に登場する「椅子から立たせる話」自体は『史記』には直接記載されておらず、後世の創作や寓話として語られている可能性が高いようです。
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孫子(孫武)が呉王を動かした策略に関連している可能性もあるかな?
もしくは本当に作り話かも?
とはいえ、この話の中に含まれている「人が動くときの本質」は、今の私たちの暮らしにも通じるように感じました。
孫子と孫臏について|知られざる兵法の天才
孫子(孫臏)は、多くの人が知る「孫子の兵法」の著者である孫武とは別人。
孫臏は孫武の子孫と言われています。
また、紀元前4世紀頃の戦国時代に活躍した軍事家・戦略家でした。
「臏」という字は足の刑を受けたことを示す名とされ、かつて政敵の謀略により両足の膝蓋骨を切り落とされるという過酷な刑を受けたという悲劇的な過去を持っています。
そんな過酷な運命を背負いながらも、孫臏は優れた軍事戦略家として名を馳せ、のちに「孫臏兵法」という書物も残しました。
彼の戦略は単なる武力の行使ではなく、知略と心理戦を重視したものだったと言われています。
この孫子と王の対話も、そうした孫臏の鋭い人間洞察力と心理操作についての一例かもしれません。
孫子と王の話から感じたこと|人は「やらされる」より「やりたい」で動く
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この話を聞いて、私が真っ先に思い出したのは
「買い物のときの自分の気持ち」でした!
あるお店で商品を眺めていたとき、店員さんがすぐ近づいてきて、 「これが今人気なんですよ」「こちらは今だけお安くなっています」とどんどん勧めてくる。
でも、そうされるとなんとなく身構えてしまって、買いたい気持ちがしぼんでしまうことがあります。
一方で、自分の好きな色や形、あるいは最近の悩みにぴったりな商品を偶然見つけたとき、 店員さんが何も言わなくても、「あ、これ欲しい」と自然に手が伸びてしまう。
人って、「買わされる」と感じると動かないけれど、 「自分から選びたい」と思ったときには、驚くほどすっと動けるんですよね。
王が孫子の言葉に反応して椅子から立ったのも、そういう心の動きと似ている気がします。

現代心理学から見る「自己決定理論」との共通点
心理学「自己決定理論」によれば、人間のモチベーションには「外発的動機づけ」と「内発的動機づけ」があるとされています。
外からの報酬や罰などによって動く「外発的動機づけ」よりも、自分自身の興味や関心から生まれる「内発的動機づけ」の方が、持続的で質の高い行動につながるというのです。
孫子が「王を座らせることはできます」と言ったのは、まさにこの「内発的動機づけ」を引き出す天才的なアプローチですね。
彼は強制や脅しではなく、王の内側から湧き上がる好奇心や自己決定感を刺激したのです。
孫子の王への一言に込められた心理的洞察
「私は王を立たせることはできません。しかし、座らせることはできます」
この言葉に秘められた心理的要素とは?

1. 制約の認識と謙虚さ
まず孫子は「王を立たせることはできません」と認めています。
これは単なる謙遜ではないのでしょう。
「人を無理に動かすことはできない」ということ。
強制できないことを素直に認めるこの態度が、相手の警戒心を解くのですね。
2. 逆説の力
「立たせることはできないが、座らせることはできる」
この逆説的な表現は、人の好奇心を強く刺激しますね。
私たちの脳は矛盾や逆説に敏感に反応するもの。
この言葉は王の中に「どういうことだ?」という知的好奇心を喚起したのでしょう。
3. 主導権の尊重
何より重要なのは、この言葉が王の自律性や主導権を尊重している点です。
「あなたを動かします」ではなく「あなたが自ら動きたくなる状況を作ります」というニュアンスは、相手の自尊心を満たし、抵抗感を和らげます。
日常生活での応用|孫子と王の物語から活かす
この孫子と王の物語にある知恵は、私たちの日常のさまざまな場面で活かせそうです。
仕事の場面で
例えば、チームリーダーとして部下に新しいプロジェクトに取り組んでもらいたいとき。
「これをやってください」と命令するよりも、
「こういう課題があるのだけど、あなたのスキルが活きると思うんだ。どう思う?」と問いかけることで、相手の中の「やってみたい」気持ちを引き出せるかもしれません。
私の友人は営業職なのですが、「お客さんに『買わせよう』と思った瞬間、絶対に売れない。
『この商品がお役に立つかどうか、一緒に考えてみましょう』という姿勢でいるときに限って、成約につながる」と言っていました。
家族関係で
子どもに部屋の片づけをしてほしいとき、
「早く片づけなさい!」と言うよりも、
「片づいた部屋だと、もっと楽しく遊べるよね。どんな風に片づけたら使いやすくなると思う?」と問いかけてみる。
パートナーとの関係で
パートナーに家事を手伝ってほしいとき、
「なんでやってくれないの?」と責めるよりも、
「二人で分担すると、一緒にリラックスする時間も増えるね」と伝える方が効果的かもしれません。
「立たせる」と「座らせる」コミュニケーションの違い
「立たせる」コミュニケーション | 「座らせる」コミュニケーション |
命令する・指示する | 提案する・問いかける |
相手を動かすことに焦点 | 相手の自発性を引き出すことに焦点 |
短期的な行動変容を目指す | 長期的な姿勢の変化を目指す |
権威や力の差を利用する | 共感や興味を活用する |
「〜しなさい」「〜すべき」 | 「〜してみない?」「〜だったらどう?」 |
孫子と王の物語から学ぶ影響力の本質
孫子が示したのは、「支配力」ではなく「影響力」でした。
支配力が相手を一時的に動かすのに対し、影響力は相手が自ら動きたくなる状態を作り出します。
真の影響力とは、相手の内側から湧き上がる動機や好奇心に火をつけ、自発的な行動を引き出す力。それは強制よりもはるかに持続的で、両者にとって満足度の高い結果をもたらします。
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と言っても簡単にできることではないかもしれません。
「自分から動く」力を育むために
私たち自身も、「自分から動きたくなる」という内発的な動機づけを大切にしたいものです。
何かを始めるとき、「やらなければならない」という義務感からでは、長続きしないことは多いです。
でも「これをやりたい」「試してみたい」という気持ちからスタートすると、障害があっても乗り越えられる力が湧いてきます。
私自身、簿記の勉強などをしていた時は「転職のため」という義務感でやっていた頃は三日坊主でしたが、「問題を解くのが楽しい」「実務ではどう活かすのだろう」という楽しさや好奇心が湧いてからは、毎日何時間も勉強することができました。
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意外と体感してることはたくさんあるかもしれませんね
おわりに|動かされるより、自分から動くほうが強い
人が本当に動くときって、「やらされる」からではなく「自分が動きたい」と思ったとき。
この小さな中国の逸話は、そんな当たり前だけど忘れがちな感覚を思い出させてくれました。
実際に活かすのは容易ではないかもしれません。
でも孫子の物語にハッとしたのは、人間の本質的な部分は時代を超えて変わらないからなのかもしれません。
夫が教えてくれたこの話、定期的に思い出したくてブログにしました。
そして日々の生活の中で、「立たせること」よりも「座らせること」の知恵を活かしていきたいと思います。
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この物語が誰かの参考になれば嬉しいです!
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